「古城の風景7 桶狭間合戦の城」(はてな年間100冊読書クラブ 29/100)

古城の風景〈7〉桶狭間合戦の城

古城の風景〈7〉桶狭間合戦の城

  • 今巻で最終巻ですが、そんな雰囲気は感じられず

作家の宮城谷昌光さんが古城を巡る本シリーズも、
今回が最終巻、とのことですね。
帯にはそうかかれていますけど、
ただ本文中では、まだまだ今後も続くような
書き方がなされていますね。著者と出版社が、
けんか別れでもしてしまったのでしょうか…?(^^;)
織田信長の大飛躍のきっかけとなった
桶狭間合戦」が最後という展開は、
ここで敗死した今川義元を主役にしない限り
普通ではありえないですよね…(^^;)
その最終巻の今巻は、桶狭間合戦関係の城・砦の他に、
知多半島にあった古城が、取り上げられていますね。
愛知県在住の私にとって、本書で取り上げられている地域は
割となじみの場所です。しかし、歴史にはそこそこ詳しいと
自認している私でも、知らないような史実が多かったですね。

  • 戦国時代の家系は、複雑過ぎです…

知らなかった史実の例として、
例えば、人質だった幼少の徳川家康を、
今川家ではなく織田家に送った戸田氏は、
渥美半島だけではなく、知多半島にも勢力を広げていたこと。
また、尾張は戦国時代、足利一門の斯波氏が守護でしたが、
尾張に含まれる知多半島尾張守護の管轄ではなく、
同じ足利一門の一色氏の勢力範囲であったこと、
(但し、一色氏と斯波氏は、仲は良くない。)
といった内容ですね。
他にも、水野氏や佐治氏などの、
家康(松平家)にも関係の深い土豪達が、紹介されています。
しかし、詳しい資料が残っていないため、
不確かなところには著者の想像も入っていたりするので、
これら土豪達の家系に関しては、非常に複雑怪奇って感じですな…(^^;)
本には家系図が出ているのですが、
それを見て本文を読んでも、一度では把握が出来ずに、
混乱してしまいます。一族間の争いやら、養子関係やら、
色々と複雑過ぎですな…

桶狭間合戦の城については、大高や鳴海など、
信長の本拠地(清洲)の近くまで、今川家が進出していたようです。
そのため信長は、これら今川家の城の周りに
砦でを築いて対抗したようですね。家康が兵糧入れに成功した大高城や、
義元が桶狭間直前に落とした丸根砦など、
史実で著名な城・砦も登場してきますね。
桶狭間の戦いは、「信長の奇襲大成功」として知られていますけど、
著者は、「信長は今川軍の動きを把握して奇襲したのではなく、
また、今川軍も決して油断しきっていた訳ではない。
信長は、「玉砕覚悟で突っ込んだら運よく成功した」」
といった見解を取っていますね。