「徳川将軍家十五代のカルテ」(はてな年間100冊読書クラブ 23/100)

徳川将軍家十五代のカルテ (新潮新書)

徳川将軍家十五代のカルテ (新潮新書)

  • 徳川十五代将軍の、死因や健康状態が詳しく

徳川十五代将軍の死因や健康状態に
スポットをあてた本ですね。
各将軍の政治方面の功罪については、
史書でも良くえがかれていますけど、
健康状態について記した本はあまり見られなかったので、
結構面白かったですね。
例えば、「生類憐みの令」を出した五代将軍・徳川綱吉
低身長症であったとか、名君の八代将軍・徳川吉宗の子で
九代将軍になった徳川家重は障害者であった等、
色々と興味深い見解を示してくれています。
身長については、徳川家の菩提寺・岡崎の大樹寺には
各将軍の等身大の位牌が安置されていて、
そこから判明出来るそうですね。

  • 病弱な体質も遺伝するので、お世継ぎ作りも大変に‥

また、徳川家にも上記の家重のような障害者や
(他に十三代将軍・徳川家定も障害者であったとか)
病弱なところが遺伝でしょうか、
一族で似通っていたりするため、代を重ねるに従って、
世継ぎを残すのに苦労していた様も描かれています。
世継ぎを残すのは大変、というのは現代の天皇家と同じですな(^^;)
まぁ中には、十一代将軍・徳川家斉のように、
絶倫を誇って(笑)五十人以上の子供を生んだ、
なんて例もありますけど。もっとも当時は
現代のように長寿の時代ではありません。
子供が生まれても産後幼くして亡くなったりして、
たとえ当時備えうる万全の体制を敷いていた筈の将軍家でも
成人まで育つ子供は半数に満たなかったそうですね。
七代将軍の徳川家継などは早世していますし‥

  • 「健康オタク」家康は、

そんな中で初代の徳川家康は「健康オタク」を誇り、
自ら学んだ健康法を他の大名に薦めたりして
陰口を叩かれていたりもしたそうです‥(^^;)
しかし自らの健康法を過信して典医の進言を退け、
その結果死に繋がってしまったとか‥
まぁ医者のほうも天下の将軍ですから、
将軍様で治療を「実験」する訳にも行かず(^^;)
どうしても治療法は既に効果が自明なものに
限られていたのかな、と思います。そのあたりが
自ら医療・健康法を勉強していた
家康には物足りなかったのかな、なんて思ったりしました。