「王の挽歌(下巻)」(はてな年間100冊読書クラブ 52/100)

王の挽歌〈下巻〉 (新潮文庫)

王の挽歌〈下巻〉 (新潮文庫)

  • 毛利の脅威を退けたあと、今度は島津が‥

上巻(感想は↓)のラストは、毛利元就を退けて
http://d.hatena.ne.jp/yukino77/20060425/#p2
一息ついた間のある大友宗麟ですが、
今度は新たな敵・島津氏の姿に脅かされることになります。
島津氏に追われて救援を求めてきた、姻戚の伊東義祐の支援も意図して、
島津氏との決戦に挑みます。しかしこの耳川の戦い
大友氏は大敗を喫してしまいますね。
この島津氏との決戦が「日向にキリスト教の聖地を作る」事も
目的としていただけに、領内でキリスト教への反発が強まり
すっかり意欲が衰えた宗麟は、自国の領土を自分で守る気力を失います。
そして本州で勢力を伸ばしている、豊臣秀吉に頼ることになりますね。
そしてはるばる秀吉に会いに大坂城に行った宗麟ですが、
「成り上がり者」の秀吉の勢力を目の当たりにし、
「自らの時代は終わった」と実感したりしますね。

そして秀吉による支援で、既に秀吉の傘下にあった
嘗ての宿敵・毛利氏の軍勢と共同して
島津氏と戦うことになった宗麟、ここもまた
「自らの時代は終わった」と実感した瞬間だと思います。
妻の離縁と再婚も経て、臼杵から津久見に移って、
そこでようやく心の安らぐ日を得たって感じですね。
こうして読み進めてみると、北九州に覇を称えて
得意満面だったかと思われていた大友宗麟も、
毛利や島津といった周りの敵に常に脅かされ、
また家庭内でも父親が殺されたり、
妻との間が上手く行かなかったりと、
色々大変だったんだなぁ、と改めて実感したりしました。
なるほど、全てのものが信じられなくなって、
日本伝来の宗教ではなく、外来のキリスト教に走ったのも
無理はないかな、と感じたりしました。

宗麟の死後も、物語は主人公を宗麟の息子で後継ぎの
大友義統に変えて、ストーリーは暫く続きます。
義統は朝鮮出兵で味方を助けなかったため、
秀吉から領地の豊後を召し上げられ、
大名としての大友氏は滅亡してしまいますね。
この他、秀吉のキリスト教禁教令の発令や
伊東マンショ(上記の伊東家の関係者だったそうですね)や
千々石ミゲルで有名な、天正遣欧使節の派遣についても
取り上げられています。書名の「王の挽歌」は、
宗麟の挽歌でもあり、禁教令が発令されて衰退していく
キリスト教に対する挽歌の意味も込められていたようですね。
なるほど、「沈黙」を書いた遠藤周作さんらしいな、
と思ったりしました。