メジロマックイーン死亡

  • はじめてこの目で見た「強い馬」

種牡馬として活躍(いや、最近は不遇でしたか‥)していた、
メジロマックイーンが亡くなってしまいましたね。
1990年に競馬を見始めた私にとって、
その年の菊花賞馬であるメジロマックイーン
非常にインパクトのある馬でした。
はじめてこの目で見た「強い馬」って感じですね。
(その年の最後の有馬記念で、オグリキャップが「奇跡の復活」
優勝を遂げており、感動という面ではそちらが上ですけど、
オグリは有馬記念の前の2戦は大敗を続けており、
衰え気味であった面は否めませんから‥
また過去のシンボリルドルフシンザンといった強豪馬は、
実際に生で見ていない分、インパクトには乏しいんですよね。

マックイーンは夏の北海道から頭角を現して、
秋の前哨戦ともいえる、菊花賞と同距離の3000mの
嵐山ステークスに出走、ここでは不利もあって2着に終わりましたが、
続く菊花賞を快勝しましたね。ダービー2着のメジロライアン
ホワイトストーンが人気を集めていましたっけ。
この当時は関東で競馬を見ており、ダービーは実際に
競馬場にも出かけたりしていたので、
関東馬に思い入れがありましたね。
そんな中で、関西馬のマックイーンがあっさりと快勝、
当時はまだ競馬を始めたばかりでしたから、この馬が
血統的に長距離に強い(マックも含めて、親子三代天皇賞馬)
という点も知らなかったですな‥(^^;)

菊花賞の鞍上は内田浩一騎手でしたが、古馬になってからは
武豊騎手に乗り替わりましたね。そして天皇賞(春)を勝ち、
親子三代天皇賞馬に輝きました。
ただ、その年の秋は、天皇賞(秋)で連覇を目指したものの、
外枠から強引に内に切れ込んでしまい、
走行妨害であえなく最下位降着の悲運を味わいます。
結局その年は、有馬記念ではダイユウサクの一世一代の
大駆けを食らったりして(マックは2着)、
降着でリズムを崩した鞍上の武豊騎手ともども、
もどかしい結果となってしまいましたね‥

マックイーン関係で一番盛り上がりを見せたのは、
その翌年の天皇賞(春)でしょうか。
前年の皐月賞・ダービーの2冠を勝ち、(最後の菊花賞は不出走)
ここまで無敗の後輩・トウカイテイオー
迎え撃つということで、一騎打ちムードの様相を見せていましたね。
一番人気はテイオーに譲ったものの、結果はマックイーンが快勝、
先輩の意地を見せたという感じでしたね。
マックイーンのほうが、長距離適正という面においては
上だったという感じですな。

長距離に強かったマックイーンですが、3連覇を目指した
翌年の天皇賞(春)では、2冠馬・ミホノブルボンに土を付けた
菊花賞馬の後輩・ライスシャワーの後塵を拝してしまいましたね。
この勝負も、「長距離が強い馬同士の対決」
盛り上がりを見せていたと思います。
そんなマックイーンですが、残念ながら時代は
スピード競馬に偏重してきていたため、
種牡馬になってからは、もう一つの成績に終わってしまいましたね。
生産者のメジロ牧場のライバルとも言える、
社台ファーム種牡馬入りしたものの、
これといった後継産駒は残せませんでしたね‥
そっか、もうオグリキャップメジロマックイーンといった
馬達も、すっかり懐かしの名馬たちの仲間入りって感じなんですね。
考えてみれば、私ももう15年以上も競馬を見ている、
ということになりますし‥(^^;)