「ゴッホ展」

  • 普段とは違う入場体系に

今日は、愛知県美術館で開かれていた「ゴッホ展」に行って来ました。
おそらく洋画では一番著名な画家の作品展であることもあり、
入場客も普段の展覧会以上に多かったですね。愛知県美術館は、
名古屋の繁華街・栄にある愛知芸術センターの10階部分にあり、
通常の展覧会では切符売り場は同じ10階にありますけど、
今回は2階部分に別途切符売り場が用意されており、
入場客のコントロール(多数の来場者があった場合は待たせる、とか)
が出来るようになっていましたね。
今まで愛知県美術館には何度となく行った事がありますけど、
ここまでの体制は初めて見ました。

  • 内容も見応えありました!

名古屋での開催前に東京や大阪で開催されていて、
多数の入場者を集めただけあって、
前評判通りの見応えのある展示会でしたね。
ゴッホの描いた絵を時代順に並べてあり、その背景も解説されていて、
展覧会のテーマである「ゴッホという画家の素顔に近づくこと」
というか、ゴッホの一生がよく理解出来ました。
その影響か「ゴッホに影響を与えた他の画家の作品」
の展示もあったため、「ゴッホ展」と言いつつも、
ゴッホの作品は半分程度だったりしましたけど展(^^;)
私の今までのゴッホの認識は
「印象画の大家」という程度でしたけど(^^;)
ゴッホが作品を残したのは10年ほどに過ぎない」そうですね。
(その10年で2千点の作品を残した)
まさに「太く短く」的な画家って感じでしたね。

  • ゴッホの苦悩的人生その1 宗教に挫折して画家の道へ

ゴッホの人生は、あまりにも情熱的というか、
熱狂的にのめりこむところがあり、
その情熱をキャンバスに叩きつけたのが、
見応えのある作品になっている感がありますね。
20代の頃は宗教にハマりましたが(ゴッホの父・祖父も牧師)
ただあまりにも情熱的で暴走しかねないと判断されたのか、
牧師にはなれずに絶望感を味わったようです。
その後画家になる事を決意し、描き始めますが、
最初は宗教への思いが残したままのスタートであり、
農民や機織職人のような
苦しい生活を送る庶民の生活を題材にして描き始めています。
この頃の作品は、題材が題材だけあって、
ゴッホらしくない」暗い色彩の絵が多いですね。
これは個人的にはちょっと意外な感じを受けました。
「種蒔く人」で有名なミレーを敬愛しており、
その関係で農民を題材にした、とも言われていますね。

その後ゴッホはオランダからパリに移住し、
印象画の画法を取り入れるようになります。
しかし印象派って、「絵の具は混ぜずに原色しか使わない」
そうですね。これは初めて知ったって感じでした(^^;)
だから印象派の絵は鮮やかに見えるんですね〜。
(また、印象派の絵はよく突拍子も無い色を
使っていたりしますけど、「絵の具を混ぜられないから」、
といった影響もあったんですね。)
また、日本の浮世絵にも影響を受け、
浮世絵を模写した絵などの展示もありました。
この時期の作品では、ゴッホ自身の自画像が印象に残りました。
絵の具が混ぜられないため、皮膚の部分に
青色を使っていたりしていたので。

  • ゴッホの苦悩的人生その3 共同生活への幻想

そんな中でゴッホは、「画家たちが共同生活を送って、
創造活動を行おう」と思い立ち、南フランスで準備を始めます。
有名な「ひまわり」はこの時期に描かれたものですね。
今回の展示会にはこの「ひまわり」が出展されていることもあって、
是非見に行きたいと思っていました。
「ひまわり」といい、共同生活の家は「黄色い家」だったりと、
南仏(プロヴァンスなどが有銘)に影響を受け、
ゴッホは黄色が好きな色になったのでしょうか?
(「ひまわり」は、太陽に向かって伸びるところとかが、
ゴッホのお気に入りだったようですが‥)
しかし、日本(損保ジャパン美術館所蔵)にある「ひまわり」は、
他(とはいってもゴッホ自身が描いた)の「ひまわり」の絵を
模写したものだったんですね、これも初耳って感じでした。
もっとも、そんな中で折角呼び寄せたゴーギャンと喧嘩してしまい、
共同生活は破綻してしまったのですが‥

  • ゴッホの苦悩的人生その4 夢破れ

その後は療養院に入院して、
複製版画や風景画に取り組んでいたようです。
ただ、「ゴッホ生存中に、絵は1枚しか売れなかった」そうです。
後世では今のように絶賛されていますけど、
実際のゴッホの人生は挫折続きの波乱万丈の人生だったんだなぁ、
と改めて実感してしまいました。
そのため、生き急いでしまったんでしょうね。
ゴッホ自身は自分がなかなか理解されずに、
あまり幸せだとは思っていなかったかもしれません‥
このあたりの苦悩は、私もよく理解できるって感じです(^^;)