パ・リーグプレーオフ第5戦 ロッテ3-2ソフトバンク(はてなプロ野球’05)

  • ロッテ31年ぶり悲願のリーグ優勝!

パ・リーグプレーオフは最後まで接戦が続きましたね。
第3戦の悪夢の逆転負けに続く連敗で、流れは悲願の優勝を目指す
千葉ロッテマリーンズにとって不利かなと思われました。
しかしそんな中で、最終戦は今までの試合とは逆に
福岡ソフトバンクホークスがリードを保つ展開ながら、
ロッテが終盤に逆転し、そして最後は抑えの小林雅英投手が、
見事に第3戦のリベンジを果たしましたね。
しかしロッテは31年ぶりの優勝ですか、
ファンにとっては長かった・待ち焦がれていたという感じでしょうね。
もっとも、年季の長いファンが多い
阪神タイガースあたりとは違って、ロッテの場合は
千葉に移転後に新しくファンになった人が多そうですけど(^^;)
ある意味自虐的なキャッチフレーズ
「テレビじゃ見れない川崎劇場」が話題になっていた頃は、
ロッテオリオンズ」人気無かったですからねぇ‥(^^;)

さすがは、今年度の総決算がこの5試合で決まってしまうわけですから、
ロッテもソフトバンクも「簡単には負けられない」という感じで、
全試合熱戦が続いていたと思います。昨年に引き続き、
シーズン1位球団(ともにソフトバンク)が敗れたのは、
プレーオフが無いセ.リーグ球団のファンから見ると
「一年コツコツ出してきた成果がムダになってしまう」
という感じがして、少し気の毒な気もしますけど。
ソフトバンクはこのプレーオフ、守り・打線の要の
城島健司捕手を怪我で欠いていましたね。)

しかし、これだけ白熱した試合が展開され、また終盤の試合は
TV放送されて全国的に盛り上がりを見せた事を考えれば、
プレーオフの導入は当たりだったかと思います。
まぁ、今年の3位・西武ライオンズのような、
シーズンで負け越したチームが、万が一優勝してしまったりすると、
それはまたプレーオフの意義が問われそうですが‥(^^;)
以前、パ.リーグが前後期制を導入していた頃も
プレーオフ」はありましたけど、
これほどの盛り上がりは見られなかったかと思います。
ソフトバンク日本ハム楽天といった
「地域に根付いた球団」が誕生して、
交流試合やプレーオフの導入を経て
パ.リーグも良いほうに変わってきたという感じがしますね。

 「渋谷ではたらく社長の告白」(はてな年間100冊読書クラブ 50/50)

渋谷ではたらく社長の告白

渋谷ではたらく社長の告白

タレント・奥菜恵さんの元夫としても名前を馳せた(^^;)
サイバーエージェント社長の藤田晋氏の
「社長業」の様子を綴っている本ですね。
若手起業家はどんな日常を過ごしているのか、
興味があって読んでみました。
藤田氏と自分はほぼ同年代でもありますし。
ブログで有名な方でもありますし、
最初はブログを収録した本かなと思っていましたけど、
普通の一代記って感じでしたね。

  • 堕落生活から心機一転

大学生時代は途中までは雀荘に入り浸り
(とはいっても雀才はあったようで、
雀荘の「打ち手」としてのバイトだったそうですが)
堕落した生活を送っていたようですが(^^;)
「会社を作りたい」という昔の夢を思い出して、
藤田氏は心機一転、オックスプランニングセンターという会社で
バイトを始めます。このバイトが転機になったようですね。
このオックス社が、「優秀な人材が多いことで知られる
リクルート退職者で作られた会社」であったこと及び
「バイトにも社員並みの仕事を任せてくれる会社」
であったことが藤田氏を変えた要因って感じですね。
また、営業という仕事が藤田氏の性にも合っていたようで、
仕事の面白さに取り付かれていったようです。

  • 営業畑で精力に溢れた熱い人間かと思いきや、しかしドライな一面も

オックス社で実績を残し、「そのまま就職」も
可能だったようですが、ここで藤田氏は、
あえてオックス社のライバル・インテリジェンス社に
就職する事を選びます。インテリジェンス社のほうが
規模的にも上だった、ということが原因のようですが、
今までの愛着のあった会社を捨てて
敢えてライバル会社選ぶ、というところは、
藤田氏の計算高い、ドライな一面を感じさせますな。
営業畑の人間って、人との付き合いを大切にする、
人情に熱いという印象があるのですが。
この後もインテリジェンス社を退職して新しい会社を立ち上げる時も、
最初は共同経営を画していた恩人を裏切るような形に
なったりしています。(さすがに辛い気分にはなったそうですが)

ドライな一面があるとはいえ、独立の際には、
現在のIT企業の寵児ともいえるUSEN宇野康秀社長や、
GMO熊谷正寿社長らが藤田氏を支援しており、
このあたりは「優秀な人材が優秀な才能を見抜く」一面を
示していると思います。
サイバーエージェント社の立ち上げ以降は、
藤田氏の、営業活動のモーレツな奮闘振りが印象深いですね。
このまま進めば「日本一の営業マン」として名を馳せたかも。
あと、現在の会社の実力以上のオフィスを借りて、
自分&社員に会社を大きくするようプレッシャーを
かけ続けていたといったエピソードは、
さすがは営業出身のイケイケぶりだなぁという感じです。

  • 株式公開では一苦労

しかし、株式公開を意識しだす頃、「社長」として営業以外の部分も
必要になってくると、そういう面では意外に脆さが見えたりしますね。
例えば、資金繰りについて弱いとか、
コーポレートガバナンス」について知らなかったりとか。
このあたりは、「万能の天才ではないんだな」と
多少親近感も覚える場面もありますね。
上場で大量の資金を手にしますが、その後ITバブルも崩壊し、
社長として株価低迷&投資家からの要求に苦悩する場面もあります。
このあたりを見ると、会社の設立・経営にはタッチせず、
ずっと営業の第一線にいた方が良かったのかな、
という気もしましたけど、藤田氏の負けん気は
それでは収まらなかったカナ、と思いました(苦笑)
あと、2005年3月頃に「あとがき」を書いているのに、
奥菜恵さんの出会いや結婚生活については触れられているものの、
すれ違い・離婚に至った経緯には全く記載が無いんですね、
ちょっとずるいかなと思いました(^^;)